大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和22年(れ)14号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

辯護人富山薫上告趣意第一點は「原判決ハ審理不盡ノ違法アリ本件記録ニヨレバ殊ニ第一、二審ニ於ケル公判調書ヲ通覽スルニ被告人ガ被害者タル松井新之助ヲ殺害スル動機ニ就キ甚ダシキ疑問ヲ存ス即チ被告人ノ犯行ガ殺人ヲ敢行スベキ理由ノ存在ヲ認メ難ク被告人ノ自供ニ於テモ當時ノ被害者トノ關係ニ於テモ將亦環境及ビ四圍ノ事情ニ於テモ犯行ヲ肯定スベキ事情ヲ認メ難シハタシテ然ラバ何故ノ殺人カ僅カノ財物ヲ得ンガ爲ノミノ理由ヲ以テ然モ熟睡中ノ被害者ヲ殺スニ於テハ單ナル強盗ヲ目的トシテノ犯行トシテハ直チニ肯ンジ難キ廉アリ本辯護人ガ復員後ノ被告人ノ心境ヲ洞察スルニ全国民共通ノ希望ヲ失ヒ前途ヲ悲觀シ暗涙ニ暮ルヽノ状ハ被告人ニ於テモ最モ強ク抱懐シタルモノト信ズベク加ヘテ食糧事情ノ緊迫就職ノ困難等生活ノ不安脅威等自棄的心理ノ潜在セルコト又疑ヒナシ依ッテ按ズルニ被告人ガ果シテ平静ナル理性ヲ持チ自己ノ所業ニ就キ冷静ナル辯別判斷ヲナシ得タルヤハ深ク検討スベキ所ナリ然ルニ本件記録ニ於テハ豫審第二回訊問調書及ビ公判調書ニ於テ被告人ノ履歴身體ノ情況被告人及ビソノ親家族等ニ精神病ソノ他心身障碍アルモノアリヤ否ヤ等ヲ訊問シタル事実ハ之ヲ認ムト雖モ該訊問ハ形式的ニ被告人ノ供述を聽キタルニ過ギズ社會ノ実例ニ徴スルトキハ表面何等ノ障碍ヲ認メザルガ如キ人ニ恐ルベキ精神的異常ヲ潜在シタル事例ハ乏シカラズ本件ニ於テ被告人ガ上述ノ如キ精神的障碍存セザルヤ否ヤ殊ニ極刑ヲ言渡スベキ場合ニ於テハ當然被告人ノ精神状態ヲ調査スベク斯界ノ權威者ノ批判ヲキヽ判決ノ公正ヲ期セザルベカラズ假ニ刑ノ執行ヲ終リタル後ニ於テカヽル事情ヲ発見シタル場合ヲ想像スルトキ此ノ過ヲ改ムルノ方途ノ存セザルヲ思ヘバ被告人ノ精神状態ヲ鑑定スル措置ヲ講ズルノ必要ヲ認ムベクコノ點ニ於テ原判決ハ審理ヲ盡サヾルモノト謂フベシ」というにある。

しかし、原判決の確定した事実並にその説明に供した證據によれば、被告人の本件強盗殺人の動機は頗る明白であり、現今社會の經驗法則に照しても容易に是認し得るところであって、特に當時の被告人の精神状態に障碍があったという疑を挿む餘地はなく、また原審公判においてかかる主張は全然なされなかったのである。それ故、原判決には論旨のような審理不盡の違法はない。

同上告趣意第二點は「原判決ハ擬律ニ錯誤アル違法ノ判決ナリ原判決ガ判示第一ノ事実即チ窃盗事実トシテ述ベタル被告人ガ昭和二十一年六月十七日盡頃本件被害者所有ノ白米其ノ他ヲ窃取シタリトノ事実ニ就テハ被告人ノ自白以外ニ何等ノ證明ナキモノトイフベシ原判決ガ其ノ判決理由ニ第一、第二ノ犯罪事実ヲアゲタル後證據ヲ按ズルニ云々トシタル記載ノ中ニ本件殺人ノ點ニ就イテノ説明ハ被告人ノ自供供述證人ノ證言等詳細ニ記述セラレタルモ窃盗ノ點ニ就テハ何等ノ記載ナシ被告人ガ窃取シタリトセラルヽモノノ中一、白米約八升ニツイテハ賍品ヲ発見セズ又之ガ處分ニツイテモ被告人ノ自白以外ニ何等ノ證據ナシ、二、白かった-しやつ(證第三號)羅紗地ずぼん一着(證第八號)ニ就イテハ被害者方ニ於テ現品ヲ発見セラレ且被告人ガ之ヲ着用シ居リタリトスルモ之亦被告人ノ自白ノミニシテ窃取着用ノ事実ニツキ他ニ證明スベキ證據ナシ證第三號ノ物件ニツイテハ被害者ノ妻ノ自供シタルトコロニヨリ被害者ノ所有ナルヤ否ヤモ明瞭ナラズ、三、外衣類雜品三點ニ就イテハ記録上何等證明セラルヽ所ナシ加之檢察當局ニ於テモ何等證明スベキ證憑ヲ蒐集シタルコトヲ認メ難シ以上ニヨリ本人ノ自白ノミヲ以テ有罪ヲ斷ズルヲ得ザル現行法ニ於テハ之ヲ有罪ト判決シタルハ擬律ヲ誤リタルモノト謂フベシ」というにある。

自白の問題は、日々の裁判の現実において最も重要な憲法問題の一つである。憲法第三十八條第三項並に日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の應急的措置に関する法律第十條第三項には「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」と定めている。これらの規定の趣旨は、一般に自白が往々にして、強制、拷問、脅迫又はその他有形無形の不當な干渉乃至影響により、恐怖と不安の下に、本人の真意と自由意思に反してなされる場合のあることを考慮した結果、被告人に不利益な證據が本人の自白である場合には、他に適當なこれを裏書する證據を必要とするものとし、若し自白が被告に不利益な唯一の證據である場合には、有罪の認定を受けないとしたものである。それは罪ある者が時に處罰を免れることがあっても、罪なき者が時に處罰を受けるよりは、社會のためによいという根本思想に基づくものである。かくて真に罪なき者が處罰せられる危險を排除し、自白偏重と自白強要の弊を防止し、基本的人權の保護を期せんとしたものである。

しかるにこれに反し、公判廷における被告人の自白は、身體の拘束を受けず、何等の強制、拷問、脅迫又はその他有形無形の不當な干渉乃至影響を受けず、全く自由の状態において供述されるものである。しかも、憲法第三十八條第一項によれば「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」ことになっている。それ故公判廷において、被告人は、自己の真意に反してまで輕々しく自白し、真実にあらざる自己に不利益な供述をするようなことはない、と見るのが相當であろう。又新憲法の下においては、被告人はいつでも辯護士を附け得られる建前になっているから、若し被告人が虚僞の自白をしたと認められる場合には、辯護士は直ちに再訊問の方法によって、これを訂正せしめることもできるであろう。從って、公判廷における被告人の自白が裁判官の自由心證によって真実に合するものと認められる場合には、公判廷外における被告人の自白とは異り、更に他の裏書證據を要せずして犯罪事実の認定ができる、と解するのが相當である。すなわち前記法條にいわゆる「本人の自白」には、公判廷に於ける被告人の自白を含まないと解釋するを相當とする。

さらに、價値論の觀點から考えてみよう。(一)強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不當に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は證據能力を有しない(憲法第三十八條第二項)。かかる種類の自白は、憲法上全く信用力なく全面的に證據價値を否定せられておるから、これを證據として斷罪科刑することはできない。その他の自白は、公判廷におけるものも又公判廷外におけるものも、等しく證據能力を有する。(二)しかし、公判廷における自白は、前述の理由によって證據價値が比較的多いから、その自白が被告人に不利益な唯一の證據である場合においてもこれを證據として斷罪科刑することができていい譯である。(三)これに反し、公判廷外における自白は、前述の理由によって證據價値が比較的少いから、その自白の外に適當なこれを裏付けする裏書證據が必要となる譯である。さればと言って、公判廷における被告人の自白があったとしても、安易に直ちにこれを證據として斷罪し去ることは、早計であり固より許さるべきことではない。裁判の任に當る者は、飽くまで自由心證主義の下に、自白の真実性につき自由心證を形成し得た場合においてのみ、斷罪し科刑し得るものであることを深く戒心しなければならぬ。自白規定を設けた憲法の精神もまたここにあると確信する。

今本件について記録を調査するに、原判決は本件第一の窃盗事実を被告人の原審公判廷における判示同趣旨の自供を採って認定したものであり、その被告人の供述は、それを以て右事実を肯認するに足りるから、前示條項其の他に違反するところがない。したがって、本論旨は既にこの點で失當である。

しかのみならず、判決における證據摘示の有無は判決書の全面にわたり、これを索むべく、必ずしも、いわゆる證據説明の部分に限定すべきでない。今本論旨の本件第一の窃盗事実の證據についてこれを見るに原判決書の第一事実の判示の括弧内に證第三號の白カッターシャツ及び證第八號の羅紗地ズボン一着を引用してあって、これらの證據は、その第一事実の認定の一資料に供されたこと明瞭である。その上原判決は、證據説明の部分に豫審における證人亀川森吉の供述として、松井の物を取って云々の窃盗の事実に關する記載を掲げてあって、以上の證據は、いずれも被告人の第一の窃盗事実の一部を證明しうる證據と見ることができる。そして前記の條項にいわゆる「唯一の證據が本人の自白である場合」とは例えば警察官、檢事又は豫審判事に對する自白のような、公判廷以外の自白で、しかも、それのみが唯一の證據である場合を指すものであるから、若しも、それ以外に何等か他の適當な證據があるときは、その場合に該當しないこというまでもない。果して然らば原判決が被告人の豫審における判示同趣旨の供述記載の外、さらに、前に述べた各證據を総合して判示第一の事実を認定したのは正當であって所論のような違法はない。本論旨はこの點からするもその理由がない。

補足意見

自白の點に對する裁判官齋藤悠輔の補足意見は次のとおりである。

思うに、我現行刑事訴訟法の上では被告人は、訴訟當事者であると共に證據方法の一つであるから、公判廷における被告人の公訴事実に關する供述(いわゆる事件に對する冒頭陳述並びにその後の訊問に對する供述を含む。蓋し、いわゆる冒頭陳述は被告人の事件に對する総論であり、要旨であり、結論であり、また、その後の供述はこれが各論であり、詳細であり、理由であるのを普通とするが、往々にして両者の間に矛盾乃至變更、訂正、取消等があるので被告人の事件に對する答辯、辯解の趣旨は冒頭陳述に限定せず被告人の供述全體を見て決すべきであるこというまでもないからである)は、當事者としての防御的訴訟行爲と證人としての經驗事実の報告的訴訟行爲とを包含するものである。而して前者の法律上の性質は原告官である檢察官の意見、主張に對する答辯、辯解すなわち一種の意見、主張であり後者の性質はその意見、主張の裏附けを成す資料すなわち證據たる性質を持つものと解すべきである。すなわち、一面事件たる公訴事実に對する意見、主張であり、他面その資料、證據であると見るべきである。從って公判廷における被告人の自白は被告人が公判廷において訴訟當事者として原告官の事件すなわち公訴事実に關する意見、主張を認めて爭はない意思表示をしたと同時にこれが裏附けを成す資料すなわち證據をも提出したものと見ることができる。それ故このような被告人の公判廷における自白は、日本国憲法第三十八條第三項並びに同法の施行に伴う刑事訴訟法の應急的措置に関する法律第十條第三項にいわゆる「本人の自白」に該當しないものと解するを正當とする。その理由は、凡そ、證據は訴訟當事者の主張、答辯に爭のある場合にその必要を見るもので、換言すれば、その爭のある場合に必要な主張又は答辯の裏附けを成す資料に外ならない。從って右條項は訴訟當事者たる檢察官と被告人との主張、答辯に爭のある場合を前提とし、その爭ある場合に必要な檢察官の主張の裏附けを成す資料、換言すれば被告人に不利益な證據に關する規定であって、しかも、その證據が唯一の場合であるときの規定であり、當事者間の主張、答辯に爭のない場合の規定ではないと解すべきである。然るに公判廷における被告人の自白は被告人が公判廷において身體の拘束を受けず、自己に不利益な供述を強要されず、訴訟上全く獨立した人格者たる當事者として、事件に對し防御、辯解をする機會を充分に與えられていたに拘らず、前述のごとく、ことさら、自己に不利益な原告官の主張事実を認めてこれを爭はない意思を表示し、剩つさえ、その證據をも提出したものであり、まさに、訴訟當事者間の主張、答辯に爭のない場合であるから、前記條項の前提とした場合に該當しないと見るべきであるからである。それ故、被告人が公判廷において自己に不利益な公訴事実を自認する供述をした場合に、その供述自體若しくは他の資料に照し、その供述が真意に出で且つ真実に合致するものと認められるときはそれのみを以て有罪とされ又は刑罰を科せられても前記條項に違反するものといい得ない。また、しかく解するのが国民を獨立した人格者として尊重し責任ある自由と權利とを保障した憲法の根本精神にも適合する。

よって、刑事訴訟法第四百四十六條に則って主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官齋藤悠輔の補足意見の部分を除いては、裁判官全員の一致した意見である。

(裁判長裁判官 齋藤悠輔 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 真野毅 裁判官 岩松三郎)

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